実録!借金地獄物語

印刷蛸男・仮名(会社社長62歳)の場合

不況のあおりをモロにくった零細企業の社長。
連帯保証人が火に油をそそぐ。。。


 蛸さんは、町工場の連なる街にある印刷会社を経営する、いわゆる零細企業の社長だった。
自宅兼工場に妻と従業員2人の零細企業の典型的な会社だった。
バブル時の執拗な銀行の融資営業、「あれからおかしくなっちゃったよ。ウチは」と空を見るように相談は始まった。

 一代で築いた小さな会社。バブルの時は、大企業からは「これでもか!」という位に下請けの仕事が舞い込み、仕事を断る事もしばしば。
今思えば何てもったいない事をと思うが、この時は仕事を選んでやる余裕もある程に仕事が潤沢にあった。

 ある日、毎月、定期預金を預かりにくる信用金庫の担当の営業と一緒に上司らしき人がやって来た。
「蛸社長、定期預金の集金に参りました。景気よさそうですね」などといつもの会話が続き、そのあと「副支店長の原黒です。はじめまして」と、重厚な名刺を差し出す高級スーツに身を包んだ男性が。

 「ところで今日私共が参りましたのも、ほかではありません。
蛸社長の会社をもっと大きくしてはいかがでしょうかというご提案なんです。
只今キャンペーン中でして、当行との取引に信用がある法人様を対象に、金利を優遇した特別枠を設けております。ぜひ、この機会に印刷機の増設を図って、仕事を増やしてみてはいかがでしょう?社長、この景気はまだまだ続きますよ、上がることはあっても、落ちることはありませんよ!!」

 確かに仕事は断る位に発注がある、機械が追いつかないので、断っているのも事実だ。
しかし、以前の設備代としてのローンも残っている。。。
が、「銀行に信用がある」、「好景気はまだまだ続く」と言われたこの言葉に、社長の心はくすぐられた。

 蛸さんは、家族に相談し、自宅兼工場の不動産を担保に借り入れをすることに。
多少返済に不安を感じていたが、新しい機械を購入し、従業員を雇い、仕事は以前より多く受注することができるようになり、それと比例するように売り上げも予定通り右肩上がりで増えていった。

 このまま行くと、もっと機械を購入して、従業員も雇わなければならないな。。。
きっと大丈夫、きっと。。。

 しかし、バブル崩壊!
好景気は文字通り、泡となってはじけてしまった。
新聞やテレビで取りざたされる頃と時を同じくして、元受より蛸さんの会社に仕事のキャンセルが次々と飛び込んできた。

 落ちる時は早いもので、あっという間に仕事は激減。
当然、会社の売り上げも下がり、蛸さんはサラ金やクレジットカードを利用して、従業員の給料や従前の借財の返済に借入を繰り返さざるを得なかった。

 その後、何とか立て直そうと必死だった蛸さんは従業員の多くに退職してもらい、銀行に毎月の返済額を減額してもらった。
辞めて行った従業員には申し訳ない気持ちで一杯だったが、蛸さんはここで会社を潰すわけにはいかなかった。

 従業員も蛸さんの現状と気持ちを十分に理解し、誰一人として恨み事を言う者はいなかった。

 従業員をリストラしたといっても、事業資金の借金、サラ金の借金は多額になっており、借入をしては返済をする日々が続いていた。いつかは景気が上向く時がくる、その時までは何とか歯を食いしばってやって行こう。

 しかし、蛸さんの決意も早々に、一本の電話が社長を奈落の底に突き落とした。『社長、伊可さんの会社飛んじゃいまいしたよ。つきましては、蛸さんに連帯保証人になってもらっているお金、一括で返していただけませんか?』

 そう、友人の会社が潰れてしまったのだ。
田舎から一緒に出てきた旧知の仲、お互い切磋して小さいながらもそれぞれ会社を作った。

 数年前、「どうしても経営が苦しいので、一時しのぎに商工ローンから借入をしたいんだけど、連帯保証人になって欲しい。絶対に迷惑は掛けないから」と懇願された。あまりにも必死な伊可さん、友人として助けてあげたい、迷惑は掛けないと言っている。蛸さんはその借り入れの連帯保証人になっていたのだった。

 しかし、友人の伊可さんが返済する事ができずに潰れた瞬間、全てが崩壊した。自分の借金だけでも借入をしなければ支払をすることが出来ないのに。その上に連帯保証をした借金が上乗せなんて。。。

 もうどうしようもない。自殺をして、保険金で借金の返済に充ててもらおうと思っていた。しかし、3年前に生まれた孫の笑顔と自分を呼ぶ孫の声「じぃたん!」が頭の中を駆け巡った。

『死にたくない。もっと孫と接していたい。。。』
蛸さんは辛くても生きて借金を整理する道を選んだ。


【教 訓】
親でも借金の連帯保証人にはなってはいけない。
連帯保証人になるのなら、自分で支払うつもりで判を押せ!(安藤)